富士山太郎坊(ふじさんたろうぼう)
◎異称=富士太郎(『鞍馬天狗』)、陀羅尼坊(だらにぼう)、高鉢権現。
◎天狗経に記される日本48天狗の6番目。
◎狗賓堂の天狗番付における序列=東の横綱
「太郎坊」といえば天狗の惣領の名。普通は“京都愛宕山の太郎坊”のことをいいますが、東日本ではもっぱら富士山に棲む大天狗の事を指します。富士山信仰の盛んだった江戸時代には絶大の知名度を誇ったと思われますが、現在では富士天狗の痕跡は(ことさら表富士側では)ほとんど無くなっているそうです。東北地方では愛宕信仰も盛んで愛宕山太郎坊も豊富なので、いまは富士山の方の太郎坊の伝承を探すことは容易ではありません。
一般に、富士山の太平洋側(静岡県側)を管轄する大天狗が富士山太郎坊で、北側(山梨県側)を護っているのが「小御岳正真坊」だと言われます。表側と裏側の天狗の世界は、互いに交流することがあまり無いようです。
<知切光歳の記述>
「まず横綱の東方富士太郎と愛宕山栄術太郎、張出横綱大峯前鬼が、貫禄、勢威において天狗界の最高峰であることは異存のない所であろう。西方の二狗が、誰知らぬ者のない天狗界の大ボスである点、知名度においては富士太郎を上回っているかも知れないが、富士山は何といっても日本一の高山、霊山、信仰の山としての貫禄では、愛宕や大峯などは足許にも及ばない。その富士山を代表する天狗として富士太郎なら、西方以上の大物として、これ以上の天狗はない」(『天狗の研究』~「日本天狗総覧」(天狗番付))
「高鉢権現図はこれまで筆者の見た多くの天狗像中の最高傑作の一つである。恐らく相当練達の画家の筆になったものであることは疑いをいれない。しかも画のできが佳くて、気品があるばかりでなく、天狗そのものの構図が豪放古怪な大天狗の相を具え、これなら日本一の富士太郎の像としての貫禄十分なことである。この像がいつの頃の製作になるものかは不明である。 (中略) 明治このかた富士周辺各所の浅間社で、富士の天狗のことを殆ど言わなくなった。他の天狗の山々でも例は多いことであるが、かくては天狗の伝承も、各地からの登山者、里人の胸からも忘れ去られて行くのではないかと淋しい思いであった。殊にそれが名にし負う富士の場合だけに、その思いは一入であった。それがこの高鉢権現像一軸を目にしたとたんに、ぱっと眼の前が明るくなった気がした。富士太郎の在りし日の面影と、ここにまざまざと対面した思いがしたからである。そうか富士の大天狗は高鉢山権現の本尊として祭られていたのか、富士太郎は高鉢山に止住していたのか、やっぱり村山村を本拠としていたのだな、といった様々なことを、この雄偉古怪な天狗像一軸によって、とたんに氷解し、納得することができたからである。村山浅間社にこの高鉢権現像一軸を蔵する限り、大天狗富士太郎は、永久に煙没することはないからである」(『圖聚天狗列伝』)
「富士氏は大宮司兼富士郡の領主として、長年に渡って同じ土地に蟠居してしている間に、次第に子族を増殖させ、周辺の強豪たちも、霊山富士の大宮司という無形の神秘力に遠慮して、できるだけその領地の蚕食を見送ってきたので、小領主としては比較的長年月の間、その社稷を維持してきた。代々の中には富士太郎直包、富士太郎昌清などの名も見えるが、まさか、その一人が大天狗富士太郎に化身したとも考えられない。陀羅尼坊という法名が称えられはじめたのは、だいぶ後代になってからで、おそらく村山浅間社の別当大鏡坊、池西坊、辻之坊あたりの修験者達によるものではないかと推定される」(『圖聚天狗列伝』)
「高鉢権現像は段違いに名手の筆であるが、系統から言えば飯綱系の型を踏んまえ、正真坊像は稚拙ではあるが、富士系と言うべき独特の型を持っている」(『圖聚天狗列伝』)
<高鉢権現>
<小惑星“太郎坊”>
<日本八大天狗>
愛宕山太郎坊/比良山次郎坊/飯綱三郎/英彦山豊前坊/
大峰前鬼/白峯相模坊/大山伯耆坊/鞍馬僧正坊
<日本四十八天狗>
愛宕山太郎坊/比良山次郎坊/鞍馬山僧正坊/比叡山法性坊/横川覚海坊/富士山陀羅尼坊/
日光山東光坊/羽黒山金光坊/妙義山日光坊/常陸筑波法印/彦山豊前坊/大原住吉剣坊/
越中立山繩垂坊/天岩船檀特坊/奈良大久杉坂坊/熊野大峯菊丈坊/吉野皆杉小桜坊/那智滝本前鬼坊/
高野山高林坊/新田山佐徳坊/鬼界ヶ島伽藍坊/板遠山頓鈍坊/宰府高垣高林坊/長門普明鬼宿坊/
都度沖普賢坊/黒眷属金比羅坊/日向尾畑新蔵坊/醫王島光徳坊/紫黄山利久坊/伯耆大山清光坊/
石鎚山法起坊/如意ヶ嶽薬師坊/天満山三萬坊/厳島三鬼坊/白髪山高積坊/秋葉山三尺坊/
高雄内供奉/飯綱三郎/上野妙義坊/肥後阿闍梨/葛城高天坊/白峯相模坊/
高良山筑後坊/象頭山金剛坊/笠置山大僧正/妙高山足立坊/御嶽山六石坊/浅間ヶ嶽金平坊