うなぎのウンチク
・うなぎは「海水魚か? 淡水魚か?」と聞かれれば、「どちらかといえば海水魚」。
(正確には“海水魚起源の陸河回遊魚”)。
・川にのぼらずずっと海だけで過ごす「海うなぎ」というものがいる。
マリアナ沖からはるばる日本近海まで来て、どうして川をのぼらないかは分かっていない。
・実は川を上るウナギよりも、川を上らず沿岸に留まる海ウナギの方が圧倒的に多い。
(それが「もともと川ウナギの方が少数派だった」のか、「川ウナギの方が普通なのに、近年河川の環境が激変して
川ウナギが減ったから」なのかは分かっていない)
・うなぎの寿命は住んでいる場所によって全然違う。
河川に住むうなぎは、雄は数年、雌は十数年生きると言われる。
・日本で確認されたもっとも長く生きた天然うなぎは、浜名湖で2011年に報告された22歳のもの。
飼育下で50年、もしくは80年生きたうなぎがいる、という噂もあるが、『理科年表』の「脊椎動物の最長寿命の表」
では「88年」と記載され、魚ではチョウザメ(152年)に次いで長寿な生き物である。
・一般に食べられている養殖鰻はシラスウナギの状態から8ヶ月~1年半ぐらい育てられたもの。
(うなぎはレプトセファルス→シラスウナギの状態で1年弱過ごすと考えられている。)
最近ではうなぎ資源減少を受けて1年未満の鰻を出荷してしまうことが多いが、
浜名湖養魚漁業協同組合では、
「1年以上育てる」と謳っている。
・1年で出荷する物を「新仔」、1年以上育てる物を「ヒネ仔」という。
うなぎは育て方によって成長速度が違うので、新仔もヒネ仔も出荷されるサイズは同じ。
新仔は身が柔らかいので人気が高い。
・養殖うなぎと天然うなぎは全然見た目が違うそうである。
・養殖うなぎで食べられるのは“成魚”であるが、“親魚”とはほど遠い「黄うなぎ」である。
・うなぎは成長段階によって「プレレプトセファルス」→「レプトセファルス」→「シラスウナギ」→「クロコ」→「黄うなぎ」→
→「銀うなぎ」→「親うなぎ」となる。
・中国産うなぎも韓国産うなぎも台湾産うなぎも、分類上はすべて基本的に「日本うなぎ Anguilla japonica」である。
・国産うなぎと台湾産うなぎは「日本うなぎ」100%だが、中国産うなぎには「ヨーロッパうなぎ」が20%含まれている。
・「日本うなぎ」と「ヨーロッパうなぎ」と「アメリカうなぎ」は見た目でほとんど判別できない。
(日本ウナギでも個体差による外見の違いが著しいため)
種の判別は一般に遺伝子検査によって行う。
だがちまたに、「ヨーロッパ鰻は日本に較べて目が大きい。身体が大きい」、「アメリカ'
・アメリカうなぎは気性が荒く、養殖に向かない。
・鰻(ウナギ科)には16種+亜種3種がいるといわれる。
その内訳は、日本鰻(Anguilla
japonica)、大鰻(Anguilla marmorata)、ヨーロッパうなぎ(Anguilla
anguilla)、
アメリカうなぎ(Anguilla
rostrata)、マダガスカルうなぎ(Anguilla
mossambica)、
オーストラリアうなぎ(Anguilla
australis australis)、シュミット・オーストラリアうな
ぎ(Anguilla australis schmidtii)、
セレベス長鰭うなぎ(Anguilla
celebesensis)、ルソンうなぎ(Anguilla
luzonensis)、ボルネオうなぎ(Anguilla
borneesis)、
アフリカまだら鰻(Anguilla
borneesis labiata)、
斑紋長鰭鰻(Anguilla reinhardtii
オーストラリア近辺に広範囲に棲息)、
ニュージーランド長鰭大鰻(Anguilla
dieffenbachii)、
ベンガルまだら鰻(Anguilla
bengalensis bengalensis)、インドネシア短鰭うなぎ(Anguilla
bicolor(二 色の) bicolor)、
ニューギニアうなぎ(Anguilla
bicolor pacifica)、?(Anguilla breviceps
中国に棲息)、?(Anguilla
nigricans)
太平洋短鰭うなぎ(Anguilla
obscura(ぼんやりした))、イ
ンドネシア 長鰭うなぎ(Anguilla
malgumora)、
ポリネシア長鰭うなぎ(Anguilla
megastoma)、まだらうなぎ(Anguilla
nebulosa タイに棲息)、
?(Anguilla inerioris)、ネパール新鰻(Neoanguilla
nepalensis)、
…あれ? 24種もいる。(未記載種もけっこうあるみたいです)
・鰻は大きく分けて「短背鰭種」と「長背鰭種」となる。日本ウナギは長背鰭。
短背鰭種は全19種のウナギのうち5種。
・ニューギニア短背鰭ウナギ(Anguilla
bicolor pacifica)が日本の河川で自生している可能性がある、といわれる。(Wikipedia)
ヨーロッパうなぎも日本の川に少なからずいるが、これは放流されたもの、もしくは養殖場から逃げ出したもの。
・「ムカシウナギ」というものが2009年にパラオ共和国の海底洞窟で発見され、「ムカシウナギ科」が創設された。
・電気ウナギやヤツメウナギ、ヌタウナギ、田ウナギ、ドジョウはウナギ目ではない。
アナゴやハモ、ウツボ、ウミヘビの一部はウナギ目である。
・鰻は深海魚から進化した。
・レプトセファルスはマリンスノーを食べて育つ。
・東大の海部健三氏が2008年頃に岡山でおこなった調査によると、川で獲れたウナギの餌の75%がアメリカザリガニだった。
・天然ウナギのエサは小魚、エビ、カニ、昆虫、蠕虫類(ミミズ・ゴカイなど)など。なんで
も食べる。
「シャコを食べて育った鰻が一番美味」と言われる。
ドジョウもウナギの大好物。
シラスからクロコ、またはクロコから成鰻に変態する時期には何も食べなくなる。
・うなぎは成体の地方名よりも、成長具合における地方名の数が圧倒的に多い。
・ウナギの大きさによる呼び方(サイト・産地により微妙に異なり多様)
シラス・針鰻・糸鰻→クロコ(黒仔)→メソ・メソッコ・ニュウメン・中(40g以下)→
ビリ・ヘッツク・ガレ(発育不良の小さなサイズ)→サジ・上中(40g~50g)→
→キソダシ・ヨリシタ(選り下)(50g~75g)→原料・ヨウチュウ(養中)→アラ・荒メリ・相中・ヨタ(養太)(200g前後)→太クチ(250g)→
ボク・ボッカ(300g以上)
・「ビリ」は、その年齢に対して小さな発育不良のものをいうが、養殖に入れるぐらいになった最小の大きさのものも「ビリ」と呼ぶ。
「天クロビリ」、「養ビリ」(13g以下のシラス)。
・ウナギのサイズ規格
うなぎは「1kgの中に何匹いるか」が取引上の大きさの目安となる。単位は「p」。
「6p」…1匹当たり166g前後、「5p」…1匹当たり200g前後、「4p」…1
匹当たり250g前後(5pと4pが国産品の平均規格)
「3p」…1匹当たり333g前後、「2.5p」…1匹当たり400g前後
・下り鰻は400g超がふつう。
養殖うなぎからは絶対に下り鰻はできない。
下り鰻は秋にしか獲れない。
・ウナギの地方名
アオバイ(岡山)、ヤアクワヤ・ウナジ(沖縄)、カヨコ・カヨオ(常州)、
カニクイ(愛知)、カネクイ(有明海)、シャジ(群馬)、
リタウナイ(石垣島)
カンナメ・カミナゲ(愛知・三重…仔鰻)、クチボソ(和歌山)、マムシ(関
西…鰻飯のこと)、マムシウナギ(関西…マムシに使うウナギ)
・「カニクイ(蟹喰い)」はふつう「アンギラ
マルモラータ(オオウナギ)」を指す呼び名であるが、普通のウナギでも主に蟹をよく喰うものを「カニクイ」と
呼ぶ。「カニクイ」は形態として広頭型になり、狭頭型に較べて味が劣るとされる。
シャコを食べて育つものはなぜか狭頭型になり、美味。
これは、川に棲むもの(蟹喰い)と沿岸河口域の棲むもの(蝦蛄喰い)の食環境の違いが大きい。
・ウナギを表す漢字
武奈伎(万葉集)、牟奈伎(万葉集)、牟奈支(新撰字鏡)、鱓鱔鰚(新撰字鏡)、魚+習(新撰字鏡・類聚名義抄)、魚+夫(新撰字鏡)、魚+旦(本草和名・本朝通鑑)、
鰌魚+旦(本草和名・倭名類聚抄)、鯆魮魚(本草和名)、魚+央
魚+乚魚(本草和名)、鯸鮧魚(本草和名)、鱣魚(倭名類聚抄)、鱣(倭名類聚抄・類聚名義抄・本朝通鑑)、
魚+旦魚(倭名類聚抄・類聚名義抄・本朝通鑑)、鯆魮(倭名類聚抄・類聚名義抄)、
魚+央魚+乚(倭名類聚抄・類聚名義抄)、無奈木(倭名類聚抄)、鰌(類聚名義抄)、
鱓(類聚名義抄)、魚+央(類聚名義抄)、鰻鱺魚(和爾雅・本朝通鑑)、風鰻(和爾雅)、鱓魚(和爾雅)、海鰻鱺(和爾雅)、宇奈岐(本朝通鑑)、鰻鱺(日本釋名)
・・・『新撰字鏡』『本草和名』『和名類聚抄』は平安初期、『類聚名義抄』は平安中期、『和爾雅』『本朝通鑑』『日本釋名』は江戸中期。
・現代の中国語では「ウナギ」は「鰻(マン、モン、バン)」、「鰻鱺(マンリー)」、「白鳝」、「鳗鲡」、「鳗鱼」、「黄鳝」、
・『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)には鰻が出てこない。
『出雲風土記』(713年)と『万葉集』(759年頃)には鰻が出ており、日本で最も古い鰻に関する文献は、『出雲風土記』ということになる。
『大宝律令』(701年)や『延喜式』(927年)の諸国の特産品のなかに鰻はない。
『本草和名』(918年)にはむなぎがある。
・レプトセファルスはシラスウナギより大きい。シラスウナギはクロコより大きい(こともある)。
・インリン・オブ・ジョイトイは台湾のウナギ親善大使(2008年)。
・浜松で養鰻業が盛んになった理由のひとつは、カイコがたくさんいたから。
・有名な歌「石麻呂に われ物申す 夏痩せに よしといふものぞ うなぎ捕りめせ」の「石麻呂」とは、大伴家持の友人であった“吉田連老”という人。
吉田連老の「吉田」は「よしだ」ではなくて、正しくは「きつた/きちた」と読む。きつたのむらじおゆ。(※“よしだのむら
じ”と読むことも多いが、元々の姓が“吉”だから)
百済系の渡来人の家系で、石麻呂の父は僧だったが「伎芸に秀でている」として政府から還俗を命じられ(続日本紀)、の
ちに典薬頭となった人。
その、父・吉田連宜は万葉集にも数首の歌が載っているが(選んだのは家持だろう)、子の石麻呂の歌はひとつも選ばれてい
ない。
「仁敬先生」とも呼ばれた医術の達人の息子にウナギの効能を説くところが、一番のミソだと思われる。
・東京では長い間、「天然鰻が最上で、養殖物は食べる物ではない」とされていたが、その認識が改まったのは関東大震災後の物資の欠乏がきっかけ。
・戦時中、鰻は統制物資(事実上養殖は全滅)になった。
・「裂きは三年、焼き一生」
・鰻の蒲焼きの付け合わせとして奈良漬けが添えられることが多いのは、
奈良漬けの中の「ペプチド」(=酒粕に由来)が鰻の脂分をほどよく抑え、
また抗酸化物質であるメラノイジンが鰻の豊富なビタミンやミネラルの吸収を助けるからだと言われる。
鰻の蒲焼きに奈良漬けを添えるのは明治時代頃から始まった。どの地域のどの店で始まったかは不明。
・2010年5月におこなわれた民主党政権の事業仕分け第2弾、「ウナギの完全養殖に成功!」を発表したばかりの水産総合研究センターが
仕分けの対象からはずされたが、「そもそも当センターが仕分けされそうになったのは、日本に完全養殖を実現されたら困る勢力の陰謀」、
「小沢一郎のせいだ」という噂が流れた。
・2007年にウナギ犬は浜松市の“福市長”に就任したが、2012年に「出世大名家康くん」に福市長の座を譲った。
2011年3月30日の“退任式”で、うなぎイヌは、「浜松市のみんなとお友達になれて嬉しかったです ワンワン! 全国各地にイベントにでかけたり、
学校の運動会に参加したり、たくさんの思い出をありがとうございましたワンワン!」と喋ったと伝えられる。
浜松市の各所に出現したうなぎイヌには大きなヘソがあったが(つまり胎生)、そもそも原作にもヘソが描かれている。
・うなぎイヌが浜松市の福市長に選ばれたのは、原作に「生まれは浜名湖ということにでもしておきましょうか」という台詞があったから。
うなぎ犬は母がうなぎで父が犬のため、父母どちらも浜名湖産であるはずである。
さらにウナギ犬には姉(うなぎイヌ江)がいることになっていて、カエルと結婚した彼女の子(つまりうなぎイヌの姪)がウナコーワである。
・ウナギ犬が2012年に浜松市福市長から「引退」した理由は、年間105万円の著作権利用料と「自由に使えないこと」が足かせとなったから。
・AKB48兼SKN48の北原里英(1991〜)のあだ名は「うなぎイヌ」だが、その理由は「唇の色と形が似ているから」。
本人もウナギ犬と呼ばれる事を気に入っており、うなぎ犬のTシャツを良く着ているとの証言もあった(2010年頃?)。
「おはよウナギも、私だと思っていただいていい」
・読売巨人の阿部慎之助捕手(1979〜)は「ウナギ犬」と呼ばれているが、その理由は「顔が似ているから」。
・愛知県知事の大村秀章(任2011〜)も「うなぎ犬」とアダ名されている。
・2013年2月1日、環境省のレッドリストでニホンウナギは絶滅危惧IB類に指定された。
・「妊婦は鰻を忌むべき」と記しているのは『本朝食鑑』『巻懐食鏡』『日東魚譜』『武家調味故実』『新撰包丁梯』。
どれもが「みだりに食うこと」を禁としており、ビタミンA(レチノール)の過剰摂取を戒めたものである。
厚生労働省は「妊婦のビタミンAの一日あたりの上限許容量」を5000IUとしている。標準的なうなぎの蒲焼きのビタミンAは4500IU。
妊婦がビタミンAを摂りすぎると、水頭症や口蓋裂等の胎児の奇形の発生率が高まるとされている。
(ただし報告では連日15000IU以上摂取した場合の危険率が3.5倍という)
一般には、妊婦でも「毎日食べなければ大丈夫」だと言われている。
・虚空蔵菩薩と三島神の信仰の強い地域では、鰻を食べることを避けることが多い。
虚空蔵菩薩とうなぎの関係については、
「虚空蔵菩薩の使いが鰻である」「菩薩の修業時代に鰻に助けられたことがある」「菩薩は鰻に乗って人界に降りてきた」「菩薩の大好物が鰻」
など諸説あるが、どれもが民間伝承レベルで、経典に書かれているわけではない。
・浜名湖の秋葉山舘山寺は福一満願虚空蔵菩薩を祀っているが、鰻にまつわる禁忌は無い。
・「鰻の神社」として有名なのは京都の三嶋神社だが、伊豆の三嶋大社でも鰻は三嶋神の使いとして祀られている。
(大社から南方3.5km離れたところにある右内神社(別名うなぎの宮、うなぎの森)は、隣接する左内神社と対になって「大社の門を守る神」となっている)。
三嶋大社と鰻の関係は、「大社の別当の護持仏が虚空蔵菩薩だったから」と説明されることが多いが、大社の別当寺の変遷は不明確な部分も多く、
確実に判明しているところでは、聖護院(不動明王)・愛染院(愛染明王)があって、結局の所ナゾである。
・三島市ではむかし鰻を食べることが堅く戒められていたが、現在では「うなぎの町」である。
・二代将軍・徳川秀忠は上洛の途中に三島で鰻を捕獲して食べた中間に、はりつけを命じたことがある。
・三島では明治末期まで「うなぎを食べると毛の無い子が生まれる」という迷信があった。
・湯布院の女神は「宇奈岐日女」というが、名前からの連想からのちに「ウナギの化身」とされることになった。
(本来は違うらしい)