江戸時代に「お伊勢参り」を契機にして爆発的な観光ブームが起こります。
旅行者の急増は、当初は伊勢神宮や熊野三山を巡る宗教的な目的によるものが多かったのですが、やがて世の旅行的な関心の高まりを背景に、各地の名所を紹介する地誌的な本が多数発刊され、人気を博するようになっていきました。この江戸時代後期の観光ブームが、現在日本の各地に伝わる色取り豊かな伝説群の母体となっているといえると思います。
もとより奈良の昔から全国を旅する旅人は数多くいて、時代ごとに各地の名所を紹介するガイドブック的なものはたくさんありました。古くは『枕草子』『土佐日記』『伊勢物語』『海道記』『東関紀行』『十六夜日記』などから西行法師の紀行歌の数々、宗良親王による『李歌集』、飛鳥井雅世の『富士紀行』、柴屋軒宗長の『宗長日記』など。
しかし、江戸時代の旅行ガイドブックはそれらとは違いました。前時代の紀行文は貴族や僧、歌人などのいわゆる知識人たちによる「歌枕巡り」
(≒景勝地巡り)だっ たのに対し、江戸時代の地誌はもっとぐっと繰り下げられた、「伝説巡り」「不思議巡り」的なものになっていったのです。これは江戸時代の観光ブームが表向きに信仰心を発端として始まったものであることを示すとともに、民衆たちの生活基底に圧倒的なレベルの教養文化の波が拡がっていたことも顕しているでしょ
う。知識人では無い汎的な教養人は、下司な物にもより関心を抱くものです。同時に江戸時代の観光ガイドブックの顕著な特徴は、「華麗にビジュアル的」であることでした。江戸時代の人は難しい観念よりも、自分の知らないことを目で見て楽しめることを喜びました。「ガイドブック」といいながら「現地に携えてそのつど参照するもの」というよりも、「家にいて気軽に見て楽しむもの」という性格を帯びた物も強かったようです。そして「読んで謎知れぬ謎に続々とわくわくしたい」という要請に従って各地の伝説が掘り起こされ、足りない物は補足されて
無かった物までが付け加えられ、微細に枝葉を伸ばしたものにまで成長させられて記録され、現代に残っていったのです。
現在の昭和〜平成の世も観光ブームです。江戸時代とは全く違う点は、現代は「伝説を探求しに旅行を求める人」はほとんどいない事です。でも、「旅行地に歴史的な重みを求める人」や「浪漫的なもの」を求める人は一定数います。こうした需要は当初から当局者らによって関知されていて、昭和時代のなかごろに
江戸時代の書誌を参考として膨大な伝説体系
(※各地ごとにまとめられたもの)が整備されることになっていました。
ここでは、その源姿となった江戸時代の記述を見てみることにします。
≪紀行記・地誌の歴史≫
=寛永15年(1638年)、『丙申紀行』(林羅山(著))※真面目な紀行記
●慶安3年(1650年)、「60年ごとのお蔭参り」(=熱狂的な群衆の伊勢参拝)始まりの年。
★万治2年(1659年)、『東海道名所記』(浅井了意
(著))※仮名草子
=元禄2(1689年)〜4年(1691年)、『奥の細道』(松尾芭蕉)
●宝永2年(1705年)、「宝永のお蔭参り」。
★正徳3年(1712年)、『曳駒拾遺』(杉浦国頭)。※遠江地誌のさきがけ
●明和8年(1771年)、「明和のお蔭参り」。
=安永9年(1780年)、『都名所図会』(秋里籬島(著)・竹原春朝斎(画))刊行。※図絵ブームのはじまり。
●貞享2年(1785年)、「貞享の秋葉祭」※袋井に秋葉山三尺坊出現、京都へ。以後「秋葉参り」の流行。
★寛政9年(1797年)、『東海道名所図会』(秋里籬島(著)・竹原春朝斎ら(画))刊行。
★寛政10年(1798年)、『遠江風土記傳』(内山真龍)
=享和2年(1802年)〜文化11年(1814年)、『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)。
★享和3年(1803年)、『遠江古蹟圖繪』(再彰館藤長庚(著・画))刊行。
●文政13/天保元年(1830年)、「文政のお蔭参り」。
=天保3年(1833年)〜天保4年(1834年)、歌川広重『東海道五拾三次』(浮世絵)。
=天保5年(1835年)、『江戸名所図会』(斉藤月岑
(著)・長谷川雪旦
(画))刊行。
●慶応3年(1867年)〜、「ええじゃないか」