表紙徳川家康の詳細な年表
<徳川家康出生の秘密 / 徳川家康の肖像 / 徳川家康の甲冑>
<三方ヶ原の戦いに関わる論議 / 徳川十六神将>
久能山東照宮(pdf)
濱松の徳川家康

出世大名家康くん 2011年に浜松市制100周年を記念して生まれたキャラ
天下泰平300年の江戸幕藩体制を造り上げた天下人・徳川家康は、数えの年齢で29歳から45歳までの17年間、浜松で暮らしました。

年数で言ったら駿府(静岡市)で暮らした26年間が最も長いのですが、家康の駿府時代は人質時代(数え6歳〜19歳/12年間)、豊臣政権下の4年間、将軍位を息子秀忠に譲った後の大御所時代(数え63歳〜74歳/11年間)の3期に分かれていて、それぞれ家康の生涯における重要度が違います。

一般における徳川家康のイメージは「ずるがしこく卑怯で卑猥な化け狸」であまり芳しいものではありません。でも、実は各時期において徳川家康という人は「別人なのでは?」と思われるくらい性格を変えています。そもそも「エロ狸」の本性を現す慶長5年の「関ヶ原の戦い」までの家康は「日本一仁義に厚い人」という評価を受けていたのです。
その評価を作るために家康の浜松時代はあったのであり、「義の人家康」を作戦変更して加工してこしらえた商品が「タヌキ家康」となったと言っても過言ではありません。(浜松人の特質は「機を見るに敏」なので)
タヌキ以前の青年時代の家康は世間の荒い波にもまれてもまれまくって、結果的に「熱くて厚い人」になった人でした。

その17年間の浜松時代とは、極めて苦しく熱い激闘の日々でした。
初期には武田信玄の遠江進入に対して手も足も出ないほどの青二才でしたが、武田家との激闘を経た15年後には「小牧長久手の戦い」において、「史上最強の野戦上手」と呼ばれるほどの戦さ上手になっておりました。

浜松とは、そういう「人を出世させる要素」を持った土地といえます。


<徳川家康のウンチク>


・「出世大名家康くん」の頭の上にある「ウナギのちょんまげ」は、生えているのではなくて、ただ貼り付けただけのものである。

・出世大名家康くんは、2013年に一時的に「出家大名家康くん」となった。出家した家康はウナギちょんまげを「断髪」し、そのせいでしゃべられなくなった。

・徳川家康の身長は150〜160cm。

・家康には少なくとも3人の影武者がいたと考えられ、本物の家康は25歳もしくは65歳ぐらいで死んだとされることもあるが、武田信玄には20人ぐらいの影武者がいた。