浜松という地名の由来
3説あります。
(1).浜松駅の西南西3kmほどのところに「伊場遺跡」という遺跡があります。ここは奈良時代に郡衙(ぐんが=お役所)であった場所と考えられています。
ここで発見された木簡(=むかしの書類はすべて木に書かれた)
に「浜津」(はまのつ/はまーつ)という地名が書かれていました。
奈良時代にはこの付近(伊場)がそう呼ばれていたのでしょう。
「浜」とは「海に面した場所」で、「津」とは「港」です。
この「はまのつ」がやがて平安時代ぐらいになって「はままつ」と変わったとする説。
浜松市公式サイト でそう書かれています。
「浜の津」は「海岸沿いにある港(津)
」という意味で、全国に非常によくある地名です。
現在の伊場は海に面してはおりませんが、平安時代中期ぐらいまで、遠州灘の海岸線は現在よりももっと北にありました。
(2).浜松中心部にある
「浜松八幡宮」
に伝わる伝説。
もともとこの神社は海に近い小沢渡町にありました。
それが天慶年間 (平安時代の中ごろ)に神託によって今の場所に移されました。その遷座の時、松の枝をくわえた白狐が飛んできて老翁の姿へと変わり、境内にその枝を植えたといいます。
この松が「浜松」の地名の由来となったとのことです。
(3).室町幕府の6代目将軍は足利義教(あしかがよしのり)でした。
この将軍は「暴れん坊将軍」として有名な将軍でしたが、永享4年(1433)に富士山見物に行こうと東海道を旅しました。
浜松のあたりを通りかかったとき、たまたま生えていた立派な松を見て 「浜松の松はささむさ」
と詠んだという故事。
ここでの「浜松」は地名ではなくて「浜からの風に吹かれる松」と言う意味で、一般にここで歌われた「ざざんざ (颯々)の松」は上の八幡神社の松と同一のものだとされます。
八幡神社のある野口町は海岸線から遙か遠いですが、海からの風が強くここまで吹き寄せ、大きな松の枝をザザンザ、ザザンザと鳴らせると言われました。
本によってはやはり野口町の松は海から遠いので、もっと南の篠原町にあった「蛇松」もしくは小沢渡町の「音羽の松」が本当のざざんざの松だとしているものもありますが、これらすべては現存していません。
…平安時代には「浜松庄」という地名がありました。
この浜松庄は現在の浜松の町全体を指す呼称ではなく、現在の馬込川西岸から佐鳴湖南岸の遠州灘沿い一帯をさす地名でした。
平安時代までは、「浜松庄」の中心地があった場所は、現在の浜松駅のある一帯ではなく、「伊場遺跡」のあった伊場の付近だったと考えられています。
古代の東海道がそのあたりを通っていたからです。
中世になって、そこよりもやや北方に位置する「引間(ひくま=現在の浜松城のあるあたり)」で市が行われるようになり、徐々に繁華していったとされています。
永禄11年(1568)にこのあたりを征服した徳川家康が、本拠地と定めた「引馬城」の名を、古代にあった浜松庄の名前を取って、「浜松城」と改めました。